野方ホープ社長 小栗富美代(由美香ママ)

週刊女性「人間ドキュメント」全3回

第2回 行列のできるラーメン店の店主に。そして、自立した娘と意外な形での対峙……

 寂しさを埋めるよう交際した男性との間に長男が生まれたものの、相手は失踪。35歳のシングルマザーとして保険の外交員などで、親子2人の生活を必死に支えた。
 そんなある日、タクシー運転手の友人から、「ラーメン食べにいかない?」と誘われた。すでに夜中の12時。客で埋まる店内に仰天した。
「こんな時間にこんなにたくさんのお客さんがいる!?」
 驚く姿を見て、
「日曜日だからこれでも少ないほうだよ」
 と、友人は笑った。
 思いついたら即、実行。
(行列のできるラーメン屋をやろう!!)
 これまでに飲食店を成功させた実績も、背中を押した。修行のため、ラーメン店のアルバイトで一連の流れを覚えると同時に、店舗を探した。
 当時、1980年代後半は、環状七号線沿いに人気店が姿を見せはじめていた。住まいは野方。環七の物件まで自宅から自転車で5分ほどの場所に決定。カウンターのみ10席だったところ、端っこの手洗い場を取ってしまい、イスを無理やり押し込み11席に。名前は、
「当時ホープ軒が流行っていて、"野方ホープ"ってすれば、お客さんが間違えて入ってくれるかもって(笑い)」
 店名のエピソードまで暴露し、どこまでも正直な小栗社長だ。
 麺のあげ方もなにもかもわからないゼロからのスタートだった。
「お客さんに"硬麺"っていわれるとね、これで大丈夫なのかなって心配なんですよ。ラーメンを出した後、じっと見ていると、ちょっと首をかしげながら食べてるから"お客さん、大丈夫でしたか?"って聞くんです。そうすると"大丈夫だよ"っていわれて、あっこれでいいんだなってひと安心(苦笑)」
 温かい声に励まされ、たくさんのことをお客さんに教えてもらった。夜中4時まで営業。ガラの悪い連中もいた。
「オイ、虫が入っているぞ!!」
 腕の彫り物をチラチラさせながら、カウンター越しにいかつい身体を乗り出してくる。負けじと、 「あんたら、どこの組のもんだ!!」
 相手は思わぬ反撃を受け、お互いの緊張が高まる。
「ここで引いたらダメ。ビシッといったから、バックに怖い人がついているとでも思ったんでしょうね。それ以上のことはしてきませんでした」
 いまでは、このようなこともないが、もめ事は日常茶飯事だった。仕事では、ドスをきかすも、普段は母として飛び回る。朝には子どもを乗せて、保育園までチャリンコを飛ばす。店に差し込む西日が傾くころ、再び迎えに行き、店の上の狭い2階で夕食代わりのラーメンを食べさせた。
 ラーメンの味は正直だった。3年と半年が過ぎたころ、店の外にひとり、またひとりと集まってきた。ふと気がつくと、列をなし、店の前に20人もの人が並んでいる。厨房で、その行列を見た瞬間、思わず涙があふれた。
「後ろを向いて涙を拭いて、またラーメンを出して、また後ろで涙を拭いてね。感謝と感激しかありませんでした」
 この日の思いは、いまでもハッキリ覚えている。
「自分の思いを強くもってやっていけば、宇宙をも動かせる。そういうことは絶対にある、と思いました」
 開店4年目にして、1日700人の行列ができ、同時に話題の『横浜ラーメン博物館』から出店の声がかかり、開催中は終日満員。名実ともにラーメン界のトップに躍り出た。
 こうして仕事は軌道にのり、公私ともに荒波を越えたように思えた。だが、再び、厳しくつらい人生が始まろうとしていた。
 あるとき、立ち寄った飲食店で雑誌を手にとると、
「『林由美香』という名前で、娘とそっくりな子がAV女優として紹介されていたんです」
 反射的にそのページをビリッと破き、ポケットに突っ込んだ。信じられない。だが、確かに娘の顔だ。
(由美香なのか!? うそだろ?)
スポーツ新聞にも出てたよ、と知り合いから聞かされた。この状況をどう考えたらいいのだろう……。握りつぶし、くちゃくちゃになった記事を開きながら、自分の人生に重ねていった。いろいろな失敗や挫折があった。体調不良。うつとの闘い。離婚で愛娘を手放した。でも、何があろうと歯を食いしばり頑張ったからこそ、「ラーメン屋」という天職に出会い、人生が開けたんだ。どんな職業でも、一生懸命にやれば必ずその先に光が見えてくる。
この時期、由美香さんと連絡は取っていたが、母子の間には、長年の深い溝が横たわっていた。娘にとって小栗社長は「娘を捨てた母」にほかならない。母子の気持ちが離れているのを感じてはいても、問いたださずにはいられなかった。
「これ、由美香か?」
「うん……」
本人から事情を聞き、眉をひそめず、こう伝えた。
「どうせやるならその業界でトップになりなさい。そしてお金を貯めなさい」
 手放してしまった故、娘につらい人生を歩ませてしまったのではないか。一緒に暮らしていたら、このような道を歩ませることはなかったのではないか……。騒ぐ心を押さえつつ、昔、自分が何かで一番になれたら、どんなに素晴らしい将来があったであろう、娘には何かで大成してほしい、と心から祈った。何よりも離れていた娘がたどり着いた仕事を応援したい、その気持ちでいっぱいだった。
「知りませんでしたが、あの子はもうAV女優としてトップクラスだったんです。その後、過去のことをいろいろといい始めました。"あのとき、どれだけつらかったかわかる? ママ"って。いい始めるっていうことは、その時点で許し始めてるんだって、聞いたことがあります」
 つらかった過去をぶつけてくる娘。これは決裂じゃない。これが親子の始まり。母親として何でも受けとめ、そして受け入れる覚悟はできていた。
 本気でぶつかった。するとギクシャクしていた親子関係も、由美香さんが32歳を過ぎたころから、修復に向かっていった。気がつくと、娘からくるメールの最後には必ず≪愛しているよ♡≫の文字とハートマークが。
「愛しているって書くの忘れると、"あっ、忘れちゃった。愛してるよ、ママ"って、子どもみたいで。酔っ払っちゃうと小学生のように甘えてね」
 失われた絆を取り戻すよう、30年分の"愛してる"を母子でいいあった。


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取材・文/藤本美郷
取材/関めぐみ

このテキストは、2009年6月23日号 週刊女性「人間ドキュメント」を加筆・修正したものです。